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ちっちゃな、ひきこもりの自助会(奈良・大阪)

阪神淡路大震災の日。あの年の自分、あれからの自分をふりかえる

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24年前のきょう、阪神淡路大震災がおきました。
当時、僕は神戸市内の学校に通う学生でした。

冬休みにも関わらず、あの日は打ち合わせでどうしても学校に行かねばなりませんでした。
タイミングがわるければ、通学途中に死んでいたかもしれません。
自分に何もなかったことは、運が良かったとしか言いようがないです。

一区画丸ごと焼けてしまった跡を、一週間たって初めて自分の目で見たとき、空襲で焼け残った跡かと思いました。
戦争経験者でもなく、戦場に行ったこともありませんが、徹底的にやられた惨状、焼け焦げた臭いからは自然災害よりも、B29のイメージがしたのです。
疑いようもなく現実に起こったことですが、あまりの現実に心が浮いたような、定まらないかんじにもなりました。

でも、それぐらい。
記憶があまりありません。
何もしなかったし、何も考えられなかったから。

最初は、ただ震災関連のテレビを家で見て過ごしていたように思います。
僕は当時も今も大阪府東部に住んでおり、今まで体験したことのない揺れを感じはしたが、直接的被害はまったくありませんでした。
だから、その気になればいつでも駆けつけられたのですが、ボランティアしようという発想がわきませんでした。
いま自分が行っても、何が出来るというわけでもないだろうと、なんとなく思っていたのです。

ちょうど一週間たって、友達からボランティアしようよと電話がかかってきました。
聡明でフットワークのよい彼は、校内で一つ部屋を借りてスタッフルームのようなものを作っていました。
そこがうちの学校の即席のボランティア基地でした。

僕は、事務所スタッフみたいなことをやりました。
一週間、その部屋に泊まりこんで。
東京都から支給された毛布にくるまって寝ました。

でも、それっきりで、半年以上前から進めてきたあることに戻ってしまったのです。
打ち合わせの件は、それに関することでした。
地震なんて来なければ、自分のせいで遅れていることをものすごく怒られるはずでした。
なんとかしなければならない。
こんな状況でも投げ出すわけにいかない。
誠に不謹慎ですが、非常事態で挽回のチャンスでした。

3月末になってやっと完成させたものの、それからは進路選択やらなにやら悩みっぱなしで、何をやるにもおぼつかなかない状態。
何から手を付けていいのか分かりませんでした。
誰にも相談できず塞ぎこんでしまって。
自分のことで精いっぱいで、社会の方に目を向ける余裕がありませんでした。

震災は、学生生活のなかでもっとも重大な出来事。
その意識は当時もハッキリありました。
なのに…。
何もしませんでした。
正確には少しはしましたが、そんなものはまったくしたうちに入りません。

とても、とても、とても恥ずべきことです。
自分の事情なんて関係ない。
このことを思うと、今でも心がざわつきます。
やるべきときに、やるべきことをしなかったことで、心の中にポッカリ穴が空いている感じがします。
それに耐えきれずに、震災から距離をとってきました。
直後を除き、関連番組も新聞記事もほとんど見ていません。

プライド

なぜこうなってしまったのか?
今なら説明できます。

読み書きが少し苦手で、なんとか帳尻を合わせようとしてきたものの、この頃になるとやることが複雑になり、量も増え、質も要求されるようになって、ちょっとやそっとでは追いつかなくなっていたのでした。
それでも、立場上、絶対にやりきらねばならない責任がありました。

当時は、どうしてこんなに出来ないのだろうと思う反面、生みの苦しみで誰にでもあることと解釈していました。
どうもヘンだと薄々気づいてはいましたが。

一番ミスったなと思うのが誰にも相談しなかったこと。
友だちが多かったし、信頼できる先生や職員さんにも恵まれていたのに、どうしてもプライドが許しませんでした。
アホと思われたくなかったのです。
しょうもないやつです。

どう言ったらこの出来ない感覚をわかってもらえるのか、などどいうことは、自分は異常ではないかという気持ちが高まってから思うこと。
当時は、それほど深刻とは受け止めていませんでした。
自分でなんとかしようと思うばかりの無策。
時間だけが過ぎていきました。

学習障害

思うように読めない、書けないことがどうしても許せません。
このままでは、この先、社会で通用しないし、やりたいことも、知りたいこともどうにもならないだろうから。
何としても上達したかったのです。

20代後半で、楽に読めるのが小学校低学年向けの絵本だと気付いてショックを受けたが、そのうちなんとかなるだろうと引きこもって読み書きの練習を続けました。
小学生から高校生まで、あまり本を読まなかったので読書経験が足りないだけ、やれば出来るはずだという可能性に賭けました。
(単に読まなかったのではなくて、実際は読む気があるのにしんどいからなかなか取り組めなかったのでした。)

でも、いつまでたっても大した成果がないので、ふと理由を探ってみようと思ました。
軽い学習障害か、ボーダーライン上にいるようだと気付いたときは衝撃でした。
ヘンだとは思っても、そこに考えがまったく及んでなかったので。
震災から15年、いや20年近く過ぎていました。
(世間には、このように大学生や社会人になってから、あるいは中高年になってから自分に学習障害があることに気付いたり、診断されたりする人が少なからずいるそうです。)

変化

さて、これまで避けてきた震災関連ですが、去年からちょっと違います。
少しですが、テレビを見れます。
新聞記事を読めます。
ラジオを聞けます。
以前ほど、逃げたくなるかんじがしません……いや、やっぱりしますね……微妙ですが、やっと、人並み程度には読めるし書けるようになったからだと思います。
まだまだですが。
ちょっぴり心に余裕が出来たようです。

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