奈良県社会福祉協議会の(正確にいえば、その中の、奈良県中和・吉野生活自立サポートセンター)が取り組んでらっしゃる、「集いば いっぽ~」に、Breakは関わっています。
いま思っていること
伝えきれていない案内文
わたくしめがBreakで、開催のたびにあげている、「集いば いっぽ~」の予定詳細ですが、定型文については1年以上前からほぼ同じです。
わたくしめがまず書いて、支援員さんが修正を施したものです。
だから、情報としてどこもわるくはありません。
正確です。
しかし、良さや奥深さをちゃんと表現しきれているかといえばどうでしょう。
ずっとモヤモヤしています。
恐縮ですが、県社協さんが作るチラシにしても、その点では同じとわたくしめは感じています。
皆さまをお誘いしておいてなんですが。
そして、皆さまがお越しになっても、どう利用したらいいのか、漠然としていて掴めないかもしれないし、狭義に理解されているかもしれないのではないかと、わたくしめ、密かに思ってきました。
どこか考え抜かれていない
どうしてそうなのかといえば、運営者も、わたくしめも、どこか考え抜かれていない点があるからではないかと思います(といったら、怒られるかもしれないけれど)。
かたちにしそこねていたり、対象者がビビッとくるようなアピールがなされていないから、いまいち参加者が増えないし、足が遠のくかたがいる(それだけが理由というわけではないし、人にはそれぞれ事情ってものがあるのですが、あえて言うと)。
良いからこそ、歯がゆい
一方で、扉は開かれていますし、方向性はいいし、なによりも支援員さんは人間的に魅力があってこのお仕事に情熱をもって取り組んだらっしゃるのを感じます。
とても心強いです。
わたくしめは、Breakの世話人でもありますが、ひきこもり当事者でもあります。
過去に公的なところで嫌な思いをしています。
だから、公的なところは、ちょっと信用ならないとか、敷居が高いといういう、ひきこもり等の皆さまのお気持ちは実感として分かります。
が、ここはそうではないなと思ったので、一緒に何かしませんかとお話をいただいたときにそうさせて頂くことにしたのです。
ゆえに、想定サービス対象者のわたしたちからするとうまく入って行けない、提供側からするとうまく取り込めない現状は、とても惜しいと思っています。
しようとしていること
わたくしめの役割
「集いば いっぽ~」における、わたくしめの役割や存在理由は幾つかあると思っていますが、その中でも特に大事なことは、その魅力が何なのかを、利用者目線でうまく言葉に載せることだと思っています。
わたくしめは、それに失敗しています。
もう少し、踏み込んで考えたり、関与させていただくことで、ブレイクスルーが得られるように思います。
案内文を書き換える
Breakに載せている「いっぽ~」の案内文を、もっと具体的で多角的で、興味を持っていただけるようなものに書き換えようとしています。
支援員さんや、上手に利用してらっしゃるかたと、深い話を繰り返すことで、その方々の口から時々ぽろっと出てくるキーになる言葉を拾揚げて、集めて、編集し、想定サービス対象者のわたしたち(ひきこもり等)が受け取りやすいかたちで提示するのです。
いまの案内文・定型文は、そのような時間のかかる過程を踏んでいません。
だから、いま一つなのだと思います。
この文章を書いた意図
わたくしめがしなくても?と、思われるかもしれませんが、ウェブを通していらっしゃるかたは、ほぼ全員がBreakのHPやツイッター経由です。
なぜなら、情報の厚みや頻度がぜんぜん違うからです。
また、ご参加者の半分はBreak繋がりか、ウェブをご覧になって。
つまり、影響力がそれなりに大きいのです。
(そうだからこそ、ツイッターやHPに掲載する写真や文章について支援員さんとやり取りしています。)
皆さまに普段、あまり言わないこと、書かないことをかきました。
なかなかご説明する時間がないのと、中途半端にご説明すると暗に県社協を批判していると理解されると困るので控えているところがあります。
今回は、プロセスをお見せすることで、興味や関心をもっていただけたらと思ってのことです。