コラム(世話人)
いじめに堪えられず自殺しても浮かばれやしない。学校ではうやむやにされ、簡単には生まれ変われない仕組みがある。一方で、世間には君の味方になろうとする大人がいる。
Breakは2018年の秋に始めたので、秋になると○周年が来ます。 何年やってますなんて、まったくどうでもいいことなのですが。 役割をまっとうできず、恥ずかしく申し訳ない気持ちと焦りが高まります。
ガチひきこもっていたあの頃のある日、朝型で悩むなんてアホらしいことだと気付きました。
僕はちゃんとしてない。いつも家でダラダラしてる。親から見れば。
自分のことで精いっぱいで、社会の方に目を向ける余裕がありませんでした。 何もしませんでした。 とても、とても、とても恥ずべきことです。 このことを思うと、今でも心がざわつきます。
なぜ、こんなに躊躇してしまうのか? それは、まさかそんなことは言えないから、当たり障りなくやり過ごそうとしようとするあまり、窮屈に感じてしまうからだと思います。
僕という人間には、社会の記録が自分の記憶として、あまり含まれていないのです。 そこに強い違和感があります。
見返してやるという強い気持ちが、なにか結果に繋がったかというと何もありません。 20年以上も、ひきこもったり、こなかったりを繰り返してきただけ。
いい加減、ガツンと働けばいいのに。 家族はそう思っているし、自分でもそう思うのですが、どうも煮え切らない。 なぜなのか、理由を列記してみました。
失敗は成功のもとというけれど。 こうも失敗続きだと足の痺れが切れるようなささいなことでも、腹が立ってしょうがないときがあります。
毎日が日曜日でも、遊ぶ気になかなかなれないのがひきこもりというもの。 ウィークデーは気分が重く、ウィークエンドは軽くなるのです。
ひきこもりで貯金も資産もなくて、働いてなかったりすると。 たいてい、親に小遣いをもらうことになると思います。 僕がそうなんですけど。
雑談とテーマトークを比較。 雑談は話しているうちにテーマトークになることがある。 やってみてウケたらそれに集中するから。
よく駅まで走ります。 遅刻しないために。 その原因は心の余裕のなさ。 ついつい直前まで今やらなくてよいことをしてたり、起動が遅かったり。 でも、結果的に健康に役立ってます。
プライドやコンプレックスが邪魔して言えないことがある。 そこで、すごくないけど、それがなにか?と思うと言いやすい。 心が軽くなるかも。
引きこもりは自分のことを考え倒している。それでもうまくいかないのはその人固有の事情がある。出来ることも使える手も、自分とは違うと認識しないと家族でさえ理解は難しい。
40代ひきこもりは年齢的にアウトなのか。当事者である僕はぜんぜんそんなことは思わない。仕事も恋愛も、自分史上最強を更新することは幾らでもあるはずだ。
いい子ちゃんで反省し過ぎる性格の僕は、反省が自分を精神的に痛めつけてるだけであることに気付いた。 反省してもいいアイデアは出てこない。 気合ではどうにもならない。