最近、毎日、味噌汁を手軽に作って飲んでいます。
誰かにすすめたくなるほど簡単でそこそこ美味しい、飽きない。
目から鱗
お椀に、味噌と昆布、葉っぱや残り物を適当にいれて熱湯を注ぐだけ。
具材が硬かったり、冷えているなら先にそれだけレンジでチンします。
この発想、料理研究家の土井善晴さんから学びました。
もっと簡単に、出汁はなくてもいいし、なんでもいい。
とりたければウインナーでも、トマトでも、焼き魚の骨でも、出汁になりそうなものならなんでもござれ、試してみる。
味噌汁は具を選ばない。
入れたくないものはあっても、入れてダメなものはない。
具だくさんにすれば栄養満点ですが、シンプルに具なしでもOK。
とはいえ、僕にとって鍋がハードルでした。
しかし、それも鍋いらずで構わないというのですから目から鱗です。
煮るからメンドクサイので、そこをすっ飛ばせば、洗い物も含めて工程を最小限に落とし込めます。
そこそこ美味しいし、飽きない。
飲んだあとスッとします。
健康によい実感あり。
食費も時間も節約できて、手間もかからないのですから完璧。
だから、アホアホずぼらな僕だって毎日でも作りたくなるのです。
ライフハックにもケチがつく
こういうの、ライフハックって言うんですよね、楽しい!
しかし、残念なことに、ひきこもりというご身分から、僕が実践するとケチをつけられがちです。
味噌汁の作り方なんて気にしている場合かと。
そんなことをやっても無駄でしかない。
肝心かなめ、もっとやるべきことが他にあるだろうと。
僕に言わせれば、肝心かなめはなかなか歯が立たない。
だからひきこもっているのです。
なんとかなるなら、言われなくてもとっくになんとかなっている、なんとかしているはずです。
誰が好き好んでこんな…。
それでも、気持ちが腐りながらでも生きていかなければならない。
だから、日常生活を少しでも豊かにしたいのです。
満たされずとも、生きる知恵
さて、ここからがこの話のミソです。
ひきこもりは、何か満たされない想いで悶々と日々を生きています。
そういう状態にいる人は、ひきこもりだけではありません。
見えづらい、気付かないだけで世の中にいっぱいいる。
なんびとも歳をとれば自然と困難や諦めねばならないことが増えるでしょうから、超高齢社会の日本は満たされずに生きている人だらけと言えるかもしれません。
問題の原因にアプローチするとともに、それとは別にどうやったら現状を豊かにできるのか。
大きな負を抱えながら今を生きる人々にとって、その原因の解消や削減に直接つながらないことでも、生活を少しでも豊かにすることに目をやることは、精神衛生上とっても大事だと思います。
二つを切り離して考えることは知恵です。
ひきこもりに対して、言葉の矢を放ってくる人は、このような本質が見えていないのです。
曇った目でひきこもりを見ている、上辺だけを見てひきこもりは困難を抱えているのではなくて怠けていると見なしている、だから上から目線でやかましいことを言うのではないでしょうか。
ひきこもりに「さえ」ためになる
ひきこもりは困難な状況にいる人で、それを突破できる、その人にとって有効なアイデアを持たない人です。
少なくとも、自分自身にはそう言えます。
数えきれないほど考えに考えたのに、また同じことを同じように考えて、苦し紛れで同じように行動して失敗しがちです。
そうなるのは、アイデア不足で、使い古した有効性がない手しか思いつかないから、仕方なくそれにすがりついているからです。
じゃあ、どうやったら自分に有効で斬新なアイデアが湧いてくるのか。
それは、おそらく外に目を向けることです。
自分を掘り返すにしても、自分にはない視点がいります。
その一つの手段としてライフハックはいくらか有効かもしれません。
当面の生活をちょっぴり豊かにするだけではなく、世界を広げてくれる助けになる。
発想が豊かになって、今すぐに直接、問題の解消や軽減につながらなくても、幾つものアイデアの素や小さなきっかけになるかも。
僕は、そんな期待を少しもっています。
このことは、何もひきこもりに限ったことではありません。
おおよそ誰にでも当てはまることではないでしょうか。
あえていえば、ライフハックは、ひきこもりに「さえ」、いろいろとためになるのです。
味噌汁を飲みながらふと浮かんだことでした。