ときどき一念発起するんです。
なんとか思うように生きるために。
ひきこもりの日々よ、サラバじゃと。
変人
でも、だいたい空回り。
やることなすこと裏目に出ててしまう。
そういうことが、20年ぐらい続いています。
失敗は成功のもとと言うけれど、あいにく僕は鋼の心を持ち合わせていないので。
こうも失敗続きだと、どうしようもない怒りと諦めと焦りが激しくなる時があります。
それで、日常のちょっとしたミスや運のわるさが癪に障って。
アーーーーッモウ!!!
って、声を荒げてしまうのです。
家族には変人扱いされています。
僕自分は、変人ではないが、おかしくなっているときがあると自覚があります。
たかが痺れに
痺れが切れたときでさえ、イテテテッではすみません。
家にいるときは、読んだり書いたりすることが多いので、よく椅子に座っているんですが。
何時間も同じ姿勢だと疲れるので、ときどき椅子の上で正座します。
そうすると腰が楽なんで。
ふくらはぎを圧迫することで血の巡りがよくなって、いくらか運動不足解消にもつながるかもという期待もあります。
そのうちジンわり違和感がきますが、しばらくは大丈夫。
膝がしんどくなってきたときが止め時だと思いますが、動くのが面倒くさいときってありますよね。
いよいよ我慢できなくなるまでそのままでいたら、ものすごいしびれに襲われます。
ジンジンジンジンジンジンジンジンジン……。
そして、
「ア~~~ッ!!!!!! もう、なんで、なんで、いつもこうなんだ。なんでこうなるんだ、くっそーぉ。もう、次から次へと、ほんまにぃ。アーーーン。どうして、こんなつまんないことに苦しまなあかんのや。いっつも、いっつも、こんな糞低次元なことで。ほんっっっと、めんどくせーぇ!!!」
痺れが切れると、誰だってイライラします。
「痺れを切らす」という慣用句があるぐらいですから。
でも、こんな風に思うと、たかがそれごときが精神衛生上の問題です。
不自由な自分
痺れが切れる前に正座を止めよう。
イライラに油を注がないようにしよう。
その方がいいと、たびたび思うのですが。
ところが、それがまた癪に障るんです。
どうしてそこまで考えなきゃいけないんだと。
「そんなチマチマしたことをしても根本的な解決には遠いよ、あほらしい!!!!!!」
どっちにしても心が疲れる。
まったく不自由な自分です。
※最近は安定しているのですが、またひどくなったら心療内科で薬をもらった方がいいのかもしれませんね。