Break

ちっちゃな、ひきこもりの自助会(奈良・大阪)

X(ログインなし) X Discord かんたんはやいほう

しっぽり気分にひたれる今井町、少しばかり地味に語ってみました(集いば いっぽ~、ツキイチの水曜のコミュニケーション講座はココで)

最新情報はX(旧ツイッター)をご覧ください。特に集まりがある日は頻繁に更新しています。

奈良県橿原市・今井町。
江戸の栄華を今に伝えるこの町で、今年度、月に一度の水曜日、「集いば いっぽ~・コミュニケーション講座」が開かれています。
Break、毎回、お誘いしております。
この度、ふとしたことで今井町ってどんなところか書いてみました。
アホアホ浅学ゆえ、AIの力もちょいと拝借しながら。

繁栄の歴史―海の堺、陸の今井

今井町は、戦国時代に一向宗(浄土真宗)の布教拠点として形成された寺内町です。
現在も存在する称念寺(しょうねんじ)、別名・今井御坊(いまいごぼう)を今井兵部卿(ひょうぶきょう)が建てたことから始まります。
全国の一向勢力の指揮系統の中枢であった石山本願寺(いまの大阪城にあった)からみると、今井町は奈良にとどまらず南近畿における軍事的、経済的、宗教的に最大級の拠点でした。
そこに織田信長が登場、それまで名だたる大名が勝てなかった一向宗勢力に挑み、10年続いた石山戦争(1570~1580)の末についに石山本願寺との和睦を勝ち取るという大事件がおこります。
今井町はその流れの中で、信長と交渉し、将来の自治や経済繁栄を見据えて自立的降伏によって武装解除、町の存続と自治を勝ち取りました。
江戸時代になっても武士の介入がない自治都市としての地位が保たれたことで繁栄。
もともと河川や街道に近いところを狙って建てられたことで物流拠点となったばかりか、酒・味噌・醤油・油・木綿・木材・農具・和紙・染色・瓦・食器と多種多様な製造業がおこり、金融業では米穀取引・年貢収納代行・信用貸し・手形・藩札に準じるような私的紙幣 今井札の発行と当時としては高度な水準で営まれていました。
江戸時代を通じて全国的な商業の発展という大きな流れに乗れました。
その背骨は、近畿・中部・北陸地方にまたがる宗教ネットワークよる門徒同士の信用取引と自治、すなわち武士の経済合理性をかえりみない統制から抜け出た自由な経済活動にありました。
しかし、明治になって物流の主役が河川・街道から鉄道にとってかわり地理的優位性が喪失。
また、価格競争・効率重視・短期利益追求の市場経済のルールが優先されるようになって、今井町の豪商は没落していきます。

寺内町ってどこも似た歴史かと思うのですが。
とはいえ、今井町は別格です。
「海の堺、陸の今井」「大和の金は今井の七分」と称されたことからうかがえます。
圧倒的な経済力から全国に数十~100以上あったと推測される寺内町の中で最も繁栄した一つであったことは確か。
戦災や自然災害を免れ、大規模な再開発から取り残されたため、奇跡的に残りました。
750軒のうち伝統的な建造物が約500軒も現存し、国の重要文化財に指定されたものが9軒もあることから、文化遺産としての価値は非常に高いです。

あんまり語られない、その後どうなって、これからは?

さて、そんなん知ってるわいという話をつらつら書きましたが、今井町の歴史紹介文ってだいたいこんなもんです。
よって、すごい寺内町だったので保存することになったと思われがち。
なんて偉そうにいう、アホアホわたくしめもそう思っていました。
えっ、そんな単純な話ではないとは!
衰退の過程で昭和の様子はどうだったのか、今の静かで気品のあるたたずまいはどのように出来たのか、そしてこの先のことは?

驚き!昭和30年代の今井町は商店がいっぱいだった

いまでは想像できないのですが、昭和20年代、30年代(1955~1964年)の今井町は商店や手工業が軒を連ねる暮らしと商いが共存した町だったと、たまたま今井町の再生に長年かかわってらした住民リーダーの方から教わりました。
出来上がってまもない本を開いて説明してくださったのですが、ほんとうに多種多様なお店がずらりと並んでいて驚きました。
家の1階で商い、2階で暮らす職住一体の暮らしが営まれていたのです。

これはどういうことか?
続きを聞きたかったのですが時間切れになり、帰ってから自分で考えてみました。
本には当時の町の様子がいきいきと語られているのですが、それがどうして見る影もなくなくなっていったのかまでは明らかにされていません。
しかし、栄華を誇った町がどのように変貌し衰退していったのかはおおよそ見当がつきます。
というのは、寺内町に限らず、高度成長期に多くの町が似た課題に直面したからです。

今井町は江戸時代初期には2千~3千、江戸時代中・後期には3千~5千人が住む町でした。
町の大きさは現代と同じ東西600m、南北310m、18haほどのそう広くないエリアにそんなに多くがというかんじ。
江戸時代の都市としてだけでなく、現代の都市からしても人口密集地です。
豪商を中心に、物流業、製造業や金融業が発達したのですが、それに従事するひとや家族、取引業者を客にする小商いも繁盛したに違いありません。
時代が変わり、経済的地位が揺らぐとそこを生業とする人が去っていきます。
一方で、ホワイトカラーやブルーカラーのサラリーマンとして生計をたてるひとが増えてベットタウン化します。
それでも昭和30年代(1955~1964年)まではそこそこ人が住んでいたことと、当時は食料や日用品を近所で購入するのがふつうだったことで、住民相手の商売は成り立ちました。
まだ大きな競争にさらされていなかったのです。
家族経営の手工業が多数存在したのも同じ理由です。

全国どこでもおこったことと、今井町の特殊事情

ところが、40年代に入るとこの小商い=地元経済圏が成り立たなくなっていきます。
交通網の発達、産業の集約化、流通の高度化、宅地開発の進行、海外からの安い製品の流入があいまって、町をとりまく環境がものすごい勢いでかわっていきました。
その結果、産業の空洞化と人口流出がおこりました。
これは全国どこでも見られたことで、現在も進行中のやっかいな社会問題です。
加えて今井町は繁栄の代償というような事情を抱えていました。
住宅が密集しており、道も狭いため立て替えやリフォームにお金がかかります。
土地を売るとしても権利関係が複雑で実現が難しく、駅からやや離れていることもあり開発が進みません。
立派な家を維持していくのは子孫からすれば重荷。
跡取りが実家を継がず、活用もされず、空き屋が増え町全体がさびれていったのでした。

自治の伝統から生み出された再生プラン

こうなると衰退は免れません。
昭和40年代、住民が中心となって再生への模索が始まります。
この全国的に見て非常に先進的な取り組みは、自治の伝統があったからと言われています。
長い期間をかけて住民同士の合意形成がなされ、切り札として1993年に重要伝統的建造物群保存地区に指定されます。
補助金と観光地化によって再生するというプランです。
文化財としての価値を活かしたい、誇りや希少性という意味から残したいという意見がある一方、建築の自由度が損なわれたり、観光客が町の暮らしに影響することを案じる声もあり、両者が歩み寄った成果でした。

生業の町へ?生き残りの模索は続く

それから30年、成功例として大きくとりあげられることが多い中、地域経済の復活という点では道半ばともいえるそうで。
補助金や観光だのみではなく、ここで生計をたてられるような、再び魅力ある商売の町にするにはどうしたらいいのか模索が続いているのだそうです。
その方向性は現代的で、今井町に限ったことではないのですが、大学・企業・行政など外部のリソースとの連携によって、歴史に根差した産業から、IT、アート、教育、コミュニティーといった分野に至るまで、小商いを支える仕組みとしての創業支援、空き屋活用、さらなる町のブランド化といったものです。
いってみれば、住民が納得するかたちで地域で何かを始めたい人たち――若手起業家、小商いの担い手、社会起業家などを呼び込みサポートする。
選ばれる町になって、共に生きていく。
そうした取り組みが、今後の町のあるべき姿として期待されているようです。
ただ、この方向性は町の姿をもう一度大きく変えることになるので合意形成が必要だろうし、実際にそれで生計を立てるのが容易でないことは、誰しも思い浮かぶことでしょう。

観光地としての今井町は余白を楽しめる

地味な話はここまで。
観光地としての今井町を羅列してみましょう。

  • 「にぎやかさ」よりも「物語性」や「余白」をしっとり楽しめます。
  • 奈良の有名観光地と比べると穴場的。
  • 観光地化されすぎず、日曜・祝日でも混みすぎません。
  • 近鉄大和八木駅や、八木西口駅から近いです。JR畝傍駅からでも歩いていけます。
  • 統一感のある街並みなので映える写真が簡単に撮れます。
  • 写真好き、歴史好き、建築ファン、街づくりや起業に関心のあるひとに刺さるでしょう。
  • 少人数や一人で巡るひとが多いです。
  • きほん、住宅地ですが観光客が散策していても気にならない、オープンな雰囲気。
  • 東西600m、南北310mとコンパクト。歩いてみてわるのにちょうどいい。
  • 国の重要文化財が9件、県指定文化財が3件、市指定文化財が5件と、町内には多数の文化財。
  • 今井町のはじまりであり、核である称念寺の拝観料は無料。境内は自由に見学できます。本堂は国の重要文化財です。
  • 案内所・今井まちなみ交流センター「花甍」(はないらか)で見どころを知り文化的背景を理解、見学可能な町屋建築・高木家住宅で歴史の深みにふれることができます。
  • 一人でも入りやすいおしゃれなカフェ、食事やお酒を楽しめるお店が点在しています。
  • 「今井文庫」は古本カフェ。今井町のクラフトコーラ「おにみみコーラ」やクリームソーダを飲みながらごゆっくり。
  • ときどき町屋にちなんだイベントがあります。

「散策の合間に立ち寄って一息つける」「写真映え/読書やアート/地域雑貨との出会い」「歴史と今の暮らしを同時に味わえる」場所が、これほどコンパクトに揃った町はなかなかありません。

あとがき

昨年、一昨年のアロマ講座、麻雀講座をへて3年目の今井町。
振り返ってみると、講座や二次会については幾度となく紹介してきましたが、場所については外部サイトにお任せきりでさらっとふれる程度。
効率を考えてのことですが、わたくしめ、時間がなくて心に余裕がなくて。
何度も通っているわりに、そんなに興味をもってきたわけではありません。
詳しく知らないということもあって、自分のことばで魅力をお伝えできてませんでした。
そんな中、おととい『社会と教育の未来ネット・なら』という集まりの設立総会にお誘いいただき参加したところ、地域再生に関わる方との出会いがあり、そこで聞いたお話をもとに書いてみました。

www.break.nara.jp

www.break.nara.jp

www.break.nara.jp

ピックアップ  |最新情報はツイッター|新サイト かんたんはやいほう

X(ログインなし) X LINE/Discord Meet お知らせ・募集