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ちっちゃな、ひきこもりの自助会(奈良・大阪)

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あえて、政治のはなしをしてみたら

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7/13(日)の「ベテランの集い」で、いつもはしない、政治の話をあえてしてみました。
テーマは、政府開発援助(ODA)、エネルギー政策、少子化対策、自民党について。
なぜ、この4つかというと予め決めたのではなく、話していくうちにそうなっただけです。
もうすぐ参議院選挙だからというわけではなくて、もし、Breakでするならどうなるだろう? 何に注意すべきだろう? どういう態度がふさわしいのか? 分断が起こらないようにするには? といったことを考えるための実験として。

安倍外交はバラマキだったのか?

では、一番盛り上がった政府開発援助について何を話したか。

Aさん、Bさんは、安倍外交はバラマキで、そんな巨額の経済支援に国益上の意味があるのかというお考え。
なんの成果があったのだと。
自分たちの生活の方が大事ではないか。
だいたい、世界第4位に後退した経済、生活が苦しいひとたちが増えている中で、そもそもこういうことを考える余裕がないひとが多い。
例えば、1年でもいいからその金を全額国内向けに使ってみたらどうなるのだろうというような意見も理解できる。
実際にやってみたらどうなるか、一度もやったことがないから結果は分からないけれど。

一方で、アホアホわたくしめは、そもそも成果なんて短期的に得られるものではなく、国益とは何か、開発援助とはどうあるべきかをおもうと、なにをもってバラマキというのかと思う。
第一に、安倍外交は、国連の要望から言えばバラマキと称されるに値するほどの額ではない。
ショボい。
経済がよかった頃のピーク時だってさえ少な過ぎると国連は言っている(基準を設定して先進国全般に対して少ないと言い続けている)。
それに、国益重視、中国との外交競争におけるカウンターというだけで、もっとも大事な人道主義という理念に乏しいと映る。
とはいえ、野党だって、そういう言い方で突っ込むよりも、もっと国内に使えと言っていた点で大差はない(理念なんてことを言っても有権者に響かないという受け手の問題)。
第二に、中国と張り合うことで意外とマシかもしれない。
歴史的にいえば、政府開発援助は事実上の戦争責任による国家賠償から始まり、その後は国益重視の経済的な投資という面に移った。
90年代になると現地住民のためにならない、日本企業が潤うことを優先するようなやり方が取り沙汰され、ひも付きであると強く批判されるようになった。
では、安倍外交の援助はというと。
中国の一帯一路構想に対抗するという意図から、いってみればかつての日本のまずいやり方を棚にあげ、中国のような債務の罠はない、現地住民ファーストであることがアピールされている。
そうすると、実際にちゃんとやってないなら自分に跳ね返ってくることは明らか。
ODA利権を言われはするが、そういう緊張感がある中であくどいと言われ断罪されるタイプのバラマキをしているのかと想像すると、それはあまり考えにくいんじゃないか。

以上の発言は、各発言者が強くそう思っているかのかというと、そうでもなくて。
ちょっとガチでやってみるとどういうかんじになるんだろうと、わたくしめがお願いしたので、「ウンウンそうだね」ですぐ終わってしまわないように、ある種のポジショントークをしたという事情があります。
また、わたくしめの発言は実際にはこのようなまとまった言い方ではなく、たどたどしかったり、舌足らずだったところがありました。

いつもはしない政治の話をした狙い

政治の話を控えていただきたい理由

これまで一貫してとってきたスタンス。
少人数で気心がしれた相手同士は別として、その場にいる大勢に向けて対面でもネットでも政治の話は控えてくださいと、皆さまにお願いしております。
もっとも話の流れでそうなってしまうときもあるだろうから、そこは状況次第、大人の判断ですが。

なぜ、控えていただきたいのかというと。

  1. 政治の話をしだすと自分と合わない意見を断罪するような発言や、相手を説得するような発言が飛び出して、場の空気が張り詰めてしまったり、ひとを傷つけてしまうことが他の話題よりも起きやすい傾向があると思うから。
    同じく控えていただきたい宗教の話題にも言えることですが、これらは自分の信念、生き方、プライド、価値観、アイデンティティ、支えるものにかかわることです。
    発言することで情報格差や判断力の差があらわになったりもします。
    よって、自分と違う意見を強く言われたり、数字や専門的な用語で強く反論されると自分がけなされたと思いがちという人間の心理が背景にあると考えます。
    そうであるならば、政治や宗教の話をするさいの作法を知っていたり、慣れがあるとよいのですが、一般的にいえば、日本において私たちはそのような教育を学校や親から教わってないし、日々の生活で親しんでいるわけでもありません。
  2. Breakにはある程度の人数がお集りなのだから左~右までいらっしゃると考えるのが自然です。
    お家が○○なんで、自分もなんとなく○○なんですよという人だっていらっしゃるでしょう。
  3. 間口を広くとるという意味で、会としては政治的な中立性を保つ必要があると考えます。
    そこで、世話人は政治的な目的を持った団体や個人(ひきこもりを含め)に利用される、勧誘の場として使われる可能性がないかを気にしています。
    また、危険思想とみなされる団体かどうかに関わらず、一定の距離を置くようにしています。
    この距離の取り方はあえて全方面と付き合うのもありです。
    特定の政党や政治家とつきあう場合は、ある種の取引きによってもたらされるメリットとデメリットを天秤にかけます。
    それから、わたくしめ自身についても、わたくしめがどういう思想信条を持っているのかは曖昧にしており、思想信条をBreakに反映してきませんでした。
    ただ、同性愛はOK、排外主義はダメとは、きかれたりそういう話になったら言っています。
    そうでないと、同性愛者や日本国籍をもたないひきこもりは、心情的にここには来れなくなってしまうからです。
    Breakは雑談が多い集まりなので、世話人は日本語が通じれば、そんなことはどうだっていいと思っています。
    こういった考え方は、Breakが特定の考えをもっているひきこもりの集まりではなく、いろんな考えをもっていてもよいひきこもりの集まりにしたいという世話人の意志に基づいています。

といういわけで、話題なんて無数にあるんだから、リスクをわざわざとらないほうが気楽でええですやんと、世話人としては思うのです。

たぶん、だいたいの運営者はやめとく

Breakにかかわらず、自助会でも公共のひきこもりの居場所でもトラブル回避を優先し、政治の話は控えるというルールを敷いているのが大概でしょう。
上記にあげたようにお互いに雑談として楽しかったで済ませるのは難しいとか、中立性を保たねばと真っ先に思うものです。
運営者としては、トラブル処理にかかる労力をおもうとやむを得ない面があります。

でも、かつての自分ならしたかったような気がするし、役立ったような気もする

しかし、一方で、こういう政治、あるいは経済、防衛、国際社会といった話をすることこそ一定のニーズに合っているとも言えるのではないかと思うのです。

長期ひきこもりのおっさんである自分自身の経験からいえば、ひきこもっていると天下国家を語りたくなるという男性が少なくないかと。

これは一般的に男性に求められる、いわゆる社会的な成功とは程遠い自分自身の無力感の裏返しではないでしょうか。

かつてのわたくしめのことで、言うのが恥ずかしいのですが。
つい、政治的なことを語りたくなる。
でも、語りだすと、お前が言うなといわれがち、思われがち。
無職ひきこもりのクセしてなのです。
何を言うかよりも、誰が言うかで評価されることってありますよね。
そうわかっちゃいるけど、人間関係が希薄であるから、数少ない話し相手としてそんな話にぜんぜん興味がなかったり、政治信条が自分とは違う親に繰り返し声高にいってしまう。
これだから無職ひきこもりはと余計に思われてしまう。
その結果、親子関係がギスギスしてしまい、子どもであるわたくしめは自己肯定感を下げることになる。
家に益々いづらくなる。
こじらせてしまい、自己防衛として中二病に。

さて、かつてのわたくしめのような方にBreakは役に立てるのか?
Yes!
無職ひきこもりであっても、だからといって責められることはありませんから、ここで語るなら嫌なおもいをせずに心の健全性の回復につながる可能性があるんじゃないかと思うんです。

気軽な雑談としてのニーズは広く浅くありそう

と、ここまで読んで苦笑いされている方を、わたしくめ想像します。
こじらすほどの人は一部だろうと。
多くは、こじらせているわけではないし、めっちゃしたいというわけでもない。
政治の話なんて、あんまりすることがないので、たまには気軽にしてみたいだけ、雑談のジャンルのひとつとして。
というものです。
確かに、そのようなニーズは広く浅くあるような気がします。

もし、やるんだったら?

ニーズがあるなら、あえて他がやらないことをしてみることに存在価値があるのではないか。
もし、やるんだったら、やらないままでいるときと同様に、場の安心安全を損なうことがないようにしないといけません。
そこで、ちょっと実験をして、いろいろと考える契機にしたいと思ったのです。

やってみて一番に思ったこと

険悪なムードにならず、たびたび笑いが起こったのは良かったです。
でも、それはAさんも、Bさんも、わたくしめと気心が知れていて、わたくしめがバンバン言うのに対して、AさんもBさんも正面切って相手にせず受け流してくださったから。
相手が違ったらわたくしめの言い方はどうだったのでしょう。

他に気付いたこと、Aさん・Bさんからいただいた感想

  1. 政治の話をする集まりを作ってその中でやるのがふさわしい。
  2. すらすらと言えるひとがいれば、意見はあるが言葉にするのが難しいひともいるだろう。ましてや、ふだん人としゃべる機会が少ないひきこもりの集まりにおいては、このへんは気にかける方がよい。
  3. 相手を打ちまかすことや、議論に勝つことを目的にしたら、全体としては殺伐として楽しくないだろう。
  4. 細かいことを言いだすときりがないし、根拠をみせろというようなことを言いだすと好き勝手いえない。だいたいあってれば突っ込まない方がよさそう。
  5. 発言者が「だからどうやねんだけど」とか「知らんけど」を最後につけたら場が和みやすい。
  6. ええこというたなと思ったら、手のひらを返したかのようにそっち側につけばいいし、分かんないことは分からんないと言えばいい。プライドをかける必要はない。
  7. AIを使ったら知識量や会話力の差を平準化できるかもしれないが、やり過ぎると専門的になりすぎてつまらなくなりそう。それだったらAIと会話すればいいようにも思う。
  8. 対抗的な意見をぶつけ合うよりも、多様な意見を出し合う方が発言しやすい。結論を出すことをゴールにするのではなく、楽しく話をすることを目的にする。そのような場の例として「オープン当事者研究会」を見本にするとよい。ただし、そこでは政治的な話は一度もしたことがない。なにかアレンジが必要と思う。
  9. 匿名性が高い方が手軽で発言しやすい。よって、誰か分からないようにして、オンラインでテキストベースでするとよいかもしれない。ただ、何を言ってもよいというわけではなく、発言にはそれなりの責任が伴うことをご参加者に分かっていただく必要がある。もしものときのために、世話人や会の主催者が発言を削除したり、追い出す機能があるところがよい(YouTubeの生配信に付属するテキストチャットにはそういう機能がある)。
  10. 差別、陰謀論、虚偽情報にもとづく意見が一定の支持を集める現代において、政治の話をする場をどう運営したらよいのかを考える必要がある。例えば、テーマをたてるときにこういう方向性で話すと枠を掲げておく。また、人格攻撃や差別発言の抑止を目的に特定の属性ををひとくくりにする発言はしないというルールを作ってご参加者に守ってもらう。その上で進行役(完璧な知識をもっているわけではなく、誰だって偏りがあるのは当然のこと)は、真実の審判者ではなく、場の健全性を守るガードマンとしての役割に徹するのがよいのではないか。

Breakで政治の話をする限界

上記の「もし、やるんだったら?」で書いたことは、実はすべて場の健全性を優先した上でのことです。
他の方のお気持ちもあるていど考えてくださいねと。

だから、ここまで読んで、これでは中途半端、生ぬるいという感想をお持ちの方がいることは容易に想像できます。
いっちゃいけないことがある、必ずしも言いたいことが言える場ではないということは、心の開放につながらない、心の健全性の回復につながらない、だいたい面白くないと。

そう、このへんが間口を広くとっているBreakの限界なのです。
やたらと良識をいいがち。
ここまでだったらBreakにもできそう。
でも、これ以上は、他でやってくださいということになります。

では、Breakで政治の話を楽しむメリットはどこにあるでしょう。
それは、ひきこもりや、生きづらさをかかえたご自分を隠さずにいられるという精神的な気楽さにあります。

もし、ひきこもり等であることを隠さずに気楽にいられて、一般的に差別、陰謀論、虚偽情報を含む発言であっても、ご自分の思想信条が否定されず全開で話せる場があれば、そこがたとえ危険思想とみなされる団体であっても居心地がよいかもしれません。
だから、そういうところを推薦しますとまでは言いませんが。

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