
ひきこもりライト層が「働くこと」を考えるとき、問題になるのは、意欲や努力だけではありません。
仕事にどうつながれるのか。
その入口の時点で、すでに大きな壁があります。
- ひきこもりライト層という、見えにくい困難
- 求人はある。でも、やりたくてやれそうな仕事が見えない
- ブルシットジョブとシットジョブ
- 怖い、無理だという感覚
- 支援機関でさらに詰まる
- なぜ、そうなりやすいのか
- 他の支援にも共通しがち
- だから、ここが空白地帯になる
ひきこもりライト層という、見えにくい困難
ここでいう「ひきこもりライト層」とは、Breakが使っている独自の呼び方です。
行政や支援機関の公式な用語ではありません。
外から見ると、見た目も受け答えもそれなりにふつうで、学歴や職歴がある場合も多い。
でも実際には、見えにくい弱点や経験不足、傷つきやすさを抱えていて、就労や社会参加で強い困難にぶつかりやすい。
重い支援が必要な人とは見なされにくく、ともすると支援の対象そのものからも外れがちである一方で、自力で突破できるほどには強くない。
そのため、支援と自己責任のあいだで、行き場を失いやすい人たちです。
求人はある。でも、やりたくてやれそうな仕事が見えない
ハローワークや求人票を見れば、仕事そのものはたくさんあります。
人手不足だともよく言われます。
それなのに、ひきこもりライト層が、いざ働くことを考えると、どうにも気が重くなる。
「いや、あるにはあるんだけど……」
という感じになる。
目に入ってくる仕事は、ブルシットジョブかシットジョブ。
そんな仕事ばかりに見えてしまうのです。
ブルシットジョブとシットジョブ
ブルシットジョブとは、社会人類学者デヴィッド・グレーバーの定義した概念です。
無意味だったり、不要だったり、ときには有害ですらあり、しかも当の本人でさえその存在をうまく正当化できない仕事のこと。
一方で、シットジョブという言い方もあります。
きつい、安い、報われにくい、粗末に扱われやすい仕事です。
こちらは、アメリカの日常会話の中から生まれてきた言葉ですが、グレーバー自身はブルシットジョブとの対比で、きつく、安く、粗末に扱われやすいが、社会の中で何らかの需要や役割のもとに成り立っている仕事として区別しました。
日本では、この両方があまり厳密に区別されず、「ブルシットジョブ=クソどうでもいい仕事」ぐらいの意味で使われているように思います。
これは、単なる被害妄想ではないと思います。
日本の労働市場には、低賃金で不安定な仕事が少なくありません。
非正規雇用は雇用者の36.8%を占め、厚労省も非正規雇用の低賃金を課題として挙げています。
さらにJILPTは、OECDの枠組みに沿って日本の「仕事の質」を分析し、賃金や安定性だけでなく、要求過多やリソース不十分といった面でも課題が広く見られるとしています。
求人は多いのに、やりたいと思える仕事が見えにくいという感覚には、それなりの現実的な根拠があるように思います。
怖い、無理だという感覚
ここでさらにしんどいのは、単に嫌な求人が多いということではありません。
自分が現実に入り込めそうなのも、結局それしかないだろうと思えてしまうことです。
もっとまともな仕事はないのか。
もう少し条件がよくて、やってみたいと思える仕事、自分のよいところが活きる仕事はないのか。
でも、職歴や年齢や能力や弱点や空白を考えると、自分に開かれている仕事は、結局そのへんしかないだろう。
無理だ、ついていけそうもない。
こうなると、仕事することが怖い、面接に行くことにますます気持ちが萎えてくる。
かなり早い段階で、こうなってしまいます。
支援機関でさらに詰まる
もう少しマシな仕事、自分でもやってみたい、できそうと思える仕事はないのか。
それを期待して、勇気を出して支援機関を頼ってみる。
考えても考えても堂々巡りで、自分ひとりでは限界に達している人も多いでしょう。
だから、支援機関に頼りたい気持ちを持っている人は少なくないはずです。
でも、実際に行ってみると、規律、慣れ、スモールステップといった話を聞かされたりします。
生活リズムを整えましょう。
少しずつ外に出ましょう。
職場体験をしましょう。
段階を踏みましょう。
もちろん、それ自体が間違っているとは言いません。
必要な人もたくさんいるでしょう。
ただ、ライト層のひきこもりの側からすると、訓練や自己理解は最初からいらない、あるいはもう十分。
そう感じる人が少なくない。
それより、自分にとって働きやすく、生き生きと働ける仕事を紹介してほしい。
そういう感覚が強いのではないでしょうか。
ところが、肝心の紹介される仕事はどうか。
おかしな仕事ではない。
社会にとって必要な仕事であり、地域に根差したしっかりした会社であることもある。
週に数日、午後からだけでもよいなど、配慮もありそうです。
それでも、ライト層の当事者の目には、なかなか「やってみたい仕事」「自分に合いそうな仕事」として映らない。
心も体も動かない。
どうしても、自分にとっての入口には見えにくいのです。
せっかく、がんばって相談に行ったのに。
「あぁ、詰んだな」という感覚に追い込まれてしまいます。
なぜ、そうなりやすいのか
支援機関や担当者が、肝心なところで頼りにならないように感じられることがあります。
では、なぜ、そうなのか。
実は、制度そのものが、ひきこもりライト層にフィットしていないという事情があるようです。
たとえば、就労準備支援のような制度は、もともと「一般就労の前の土台づくり」に重心があります。
生活習慣を整える。
社会的な力をつける。
就労体験や職場見学を通して、働く感覚に少しずつ慣れていく。
そういう段階を経て、一般就労につないでいく仕組みです。
つまり、最初から「本人がやりたいと思える、魅力のある仕事を広く提示する」ことに重心があるわけではありません。
まずは、つながる。
慣れる。
続けられる状態を作る。
そこに重きが置かれています。
さらに、支援機関にも限界があります。
履歴書の空白は、それだけで不利になりやすい。
さらに中高年になると、スキルや経験を求められやすい。
未経験者歓迎の求人でさえ、実質的には若い人向けであることが少なくない。
地方では、そもそも働く場そのものが少ない。
企業開拓に十分な予算や人員が割かれているわけでもない。
無い袖は振れないのです。
だから、支援機関が出してくる提案が、規律、慣れ、スモールステップと、ライト層の当事者には「入りたい仕事」として映りにくい紹介に寄りやすいのも、ある意味では当然でもあります。
他の支援にも共通しがち
これは就労準備支援に限った話ではありません。
サポステでも、生活面の立て直し、コミュニケーション、ビジネスマナー、就労体験、段階的な準備が前面に出ています。
ひきこもり支援全体でも、相談支援・居場所づくり・ネットワークづくり・他機関へのつなぎが中心的なメニューとして置かれています。
それは、厚労省のひきこもり支援の整理や、就労準備支援の手引き、サポステの案内を見ても、おおよそ読み取れます。
つまり、多くの支援はまずつながる、慣れる、準備することに重心があり、最初から「本人がやりたいと思える仕事を広く示す」ことを主軸にはしていません。
もちろん、すべての支援機関が同じではありません。
利用者のニーズに応じて工夫されているでしょう。
それでも、支援の組み立てそのものが、相談、居場所、スモールステップ、就労体験に寄りやすい以上、ライト層とのズレは、多くの支援に広く共通しがちなものではないかと思います。
だから、ここが空白地帯になる
結果、ひきこもりライト層は、
ブルシットジョブには納得できない。
シットジョブには耐えられそうにない。
支援機関を頼っても、その外にある出口がなかなか見つからない。
では、自分にできる仕事はどこにあるのか。
という、出口の見えない悩みにぶつかりやすくなります。
もちろん、しんどい仕事でも、生活のために我慢して働いてらっしゃる方々が大勢います。
社会は、そういう方々のご苦労によって成り立っている。
それは言うまでもありません。
でも、自分には耐えられない。
受け入れがたい。
そこが、どうしても越えられない。
若いころなら勢いや体力で押し切れたことも、中高年になるとそうはいかない。
傷ついてきた時間も長くなり、空白が長いほど、「次こそ失敗したくない」という思いも強くなる。
そうなると、少しでも無理の大きい仕事には、ますます手が出なくなります。
つまり問題は、本人の努力不足だけでも、支援機関の不親切だけでもありません。
ライト層のひきこもりが働こうとするとき、個人の弱さと、日本の雇用の弱さと、支援制度の重心のズレが、ちょうど正面からぶつかってしまうのです。
そして、ここにこそ、現在のひきこもり支援の空白地帯があります。
外からは「そこまで困っていないように見える」。
でも実際には、詰まりやすく、しかも放置されやすい。
この層に対して、従来の福祉寄りの支援だけでは届きにくい。
2つ目のコラムでは、支援機関がなぜ頼りになりにくいのかをさらに掘り下げたうえで、Breakとしてどうしていきたいかを書いていきます。









