4/23(火)の「集いば いっぽ~」は、コミュニケーション講座です。
話し方やコミュニケーションってなんだろうと、楽しく学べるワークショップ。
第一回は、精神保健福祉士の○○○さんと、わたくしめBreakのアホアホ世話人・でがらしが、コミュニケーションや会話にまつわるお話を、先生の質問に答えるかたちで発表します。
これは、それに使う、でがらしメモです。
ここにアップするのはわたくしめの文だけです。コミュニケーション講座のPRためにアップします。当日の、○○○さんや、わたくしめの話、皆さまのご意見ご感想はその場限りです。規約にもありますように、他言無用で、誰かに話したり、SNS等でアップされることはどうぞお控えください。
- はじめに
- 筆者の世話人、でがらしはこういうひと
- コミュニケーション、とりわけ会話において目指してきたこと
- いつからそう思うようになったのか、きっかけはなにか
- 転機:こんなことをしてきてた、こんなことがあった
- 特性
- 今でも苦手なコミュニケーション、会話
- そのほか、経験上おもうこと
はじめに
わたくしめ、苦手だった(いまも得意とは思っていませんが)、コミュニケーション・会話について思うことを書き出してみました。
先生が質問しやすいように、当日の打ち合わせにおいて、エピソードや思うことをひとつに対して1行~数行、箇条書きで書き出した紙を提出するという段取りなのですが。
わたくしめ、必要以上に書いてしまいました(もっと書けます、キリがない)。
簡単に思えたのですが、始めてみると難しくて一晩かかり、こんなに長くなってしまいました。
大は小を兼ねるということで、許していただこうと思います。
筆者の世話人、でがらしはこういうひと
コミュニケーション、とりわけ会話において目指してきたこと
誰とも楽しく話せるようになりたい。
誰からもバカにされたくない。
誰をも楽しませたい。
いつからそう思うようになったのか、きっかけはなにか
10歳ぐらいから。
いじめられたり、輪に入っていけなかったことから。
転機:こんなことをしてきてた、こんなことがあった
時期
- 18歳~35歳の、17年間で大きく変わった。
気付き(一瞬でコミュ力がアップしたこと)
- 自分と雰囲気や会話の仕方が似ているが、自分よりも会話のウマイひとがいた。その人にあって自分にないものは、ひとのよいところを口に出してどんどん褒めることだと気付いて取り入れた。効果を感じた。(現在でも多用)
- 会話にボケとツッコミを入れた。これで会話がリズムよくつながりやすくなった。笑いをとりやすくなった。(現在でも多用)
- 舐められやすいのはウブだからと気付いた。新しいコミュニティに入ったさいに苦手なシモネタを多用したことで効果を感じた。(現在では引き出しのひとつに過ぎない)
- 好き嫌いの感情を表に出す、腹が立って怒ってみせたら、たいてい相手はひるむことに気付いた。(Breakではこの手は使わない)
気付き(意識したこと、目標になったこと)
- ある討論会でぜんぜん力が発揮できなかった。みんな同年代なのに力の差が歴然。本を読んでこなかったせいと思った。追いつくのに10年かかると思った。→本を読もう
- 自分に息苦しさを感じるのは、コミュニケーション上の失敗経験の積み重ねから他人の評価を気にする面と、自分のイメージやキャラに縛られている面がある。自分を解放する必要がある。→外国にいこう、チャットでいろんなひとを演じよう
- ほんの少し外国に住んでみた。その人にとって生きやすい環境とそうでない環境があるに違いないが、とはいえ、環境が変わっても自分のひとづきあいの下手さや、ひとの評価は変わらないものがあると思った。→環境も大事だが自分が変わるしかない
- 楽しかった大学生活が終わったとたん、コミュ力がついてないことに気付いた。環境が自分にすごく合っていたから気にならなかっただけ。雑談できないと生きていけないと思った。→チャットで雑談力をつけよう
- 自分にとって最大のネックは読み書きが苦手なこと。文字でのコミュニケーションをなんとかしないと生きてはいけないと思った。→なぜ苦手なのか原因を探るのではなくとにかく読もう、書こう
- 趣味がない、何も知らない、ウケル話題がない。だから話に困るのだ。ウケル話題を取り入れよう→食文化について興味を持つ
- 「自分の内面を見て欲しいという人がいるが、着ているものや態度や話し方といった表に出ていることは内面の表れではないか」と、テレビで誰かが言っていた。その通りだ、内面を見て欲しいと思っていたモテない自分は甘いと思った。→いろんな点で表現力をつけねば
- 自分のルックスや能力からいって二枚目は無理。三枚目でしか生きてはいけないと思い知った。→二枚目きどりで笑われていたが、三枚目で笑かすことなら出来るかもしれない
- 相手に合わせるからしんどくなる。かといって、空気を読まずに突っ走ると孤立する。よい空気を作れるひとになれたら楽だ。→軽口を言えるようになろう
- 初対面のひとに話がよく飛ぶねと言われた。→何をしゃべっているのか意識するようになった
継続(長い時間をかけてコミュ力がアップしたこと)
- 苦手な読み書きに20年以上かけてとりくんだ。10年やってもほとんど手応えがなかったがやり続けて人並みぐらいにはなれた。副産物として論理力と知識がついた。読み書きの力だけでなく会話力もアップ。
- 雑談力を上げるために、知らない人と1対1のチャットを5年ぐらいやりまくった。最初の数日で手応え、雑談に対する苦手意識がほとんど消えた。
特性
有利(小学生~現在)
- なぜか、リーダー役になることが多かった。選ばれたり、(メンバーを見て)引き受けたりしてきた。→役割があることで輪に入っていきやすかった面がある
- ひと前で緊張しない。準備さえできていれば演説でも歌でも劇でも。→下手なのに状況を楽しめるということ
- 興味、関心の幅が広い。→ひとの話を面白がって聞ける
- 顔に似合わず、ドラマのセリフのようなキザなことをさらっと言える。→ひとを褒めるのによい、笑いがとれる
不利(小学生~18歳ぐらい)
- 見た目や印象で人を魅了することはない(これは今でも)。
- 読み書きが苦手(ひとと違うことに気付いたのは28歳のとき)。
- 諦めが早い(疲れやすく無気力、体力も知力も低い)。
- 怒ることが苦手(自分の正しさを検証したり、怒るタイミングを図っていた)。
- 声が小さい(いじめられた影響)。
今でも苦手なコミュニケーション、会話
- 職場での会話。場の空気を読んで自分のポジションにふさわしい会話をしないといけない。非常に窮屈。摩擦が起きないように工夫している職場ならまだしも、配慮がない職場だと、年齢がいっており大したことのない自分は屈辱的であほらしくていてられない。
そのほか、経験上おもうこと
いじめ
いじめれていた経験から。
いじめられると、目立たないように目立たないように、自己表現を抑えがち。
それが続くと、自分の意見を持てなくなったり、声が小さくなったり、自分から行動することにためらいがち。
身動きがとれなくなる。
それがそこで生きる術だったのだから仕方がないが。
環境が変わったときに、ふつうの自分に戻る、ふつうになれるように一定の慣れや訓練がいる。
同性の同級生
同級生の男子との会話が苦手だった。
下と上、女子とはそうでもなかった。
なぜなら、彼らは一番遠慮がないから。
大人しめの男子ならそうでもなかったが。
遠慮がない相手には、コミュニケーション上の強さが必要。
例えば、出来ないことを隠すのではなくさらす、恥ずかしいことを先にいってみる、その不利な状況で自分はどう取り組んでいるのかを見せればいい。
全員に通用するわけではないが、相手のあたりはずいぶんと弱くなる。
一目おかれるから。
反復練習と気付き
会話上達には、反復練習と気付きの2種類がある。
反復練習にはとてつもない時間が必要かもしれない。
しかし、やり方や方向性が間違っていなければ、積み重ねがそのうち結果につながる。
一方で、気付きはある日なにげなく気付く、一瞬でよくなったり、指針を与えてくれる。
考えても出てこない。
しかし、考えないと出てこない。
いつそれが訪れるかは運次第。
男女の違い
男性と女性が好む会話(雑談)は違う。
どちらかといえば、男性は積み上げ式で1テーマの会話を好む、女性は話題をそのときの流れで変えていくことを好む。
どちらにしても、結論なんてどうだっていい。
雑談がうまい人は全体をみている。
場の雰囲気や相手の様子をみて話を転がしている。
雑談に参加しているひと、全員が概ね楽しければよいという、そういう結果を求めている。
ひとづきあいのイロハ
ひとづきあいが得意じゃなかった。
イロハを知らなかった。
特に、同年代のひとの気持ちが分からなかった。
そういうことが18歳ぐらいまで続いた。
だから、役割があると楽に思えた。
幸い、自分が手を挙げなくても、リーダーとして選ばれることが多かった。
でも、イロハを知らないことは、決定的に能力不足だった。
※イロハが具体的に何なのかは、頭の中でまとまっておらず書き出しにくい。
下に見ていた
ヘンに真面目だった自分は軽口を叩いているやつらをバカにしていた。
だが、それは勘違いだった。
難しい真剣な話よりも、軽い話が出来る方がひとは寄ってくるという事実に目を向けるべきだった。
軽口たたいているやつらの多くが、真剣な話が出来ないわけではない。
場に応じて内容を選んでいるのだ。
実は、難しい話というのは、そういう話をしやすい状況のときが多い。
いわばお膳だてが出来ている。
軽口をたたいているやつらは、自分から会話を組み立てて場をつくっているところがある。
こちらの方が会話においては高度。
コンプレックスの克服
雑談が出来ないというコンプレックスの克服は無駄に思えた。
そんなことぐらいで思い悩むな、勉強や仕事ができる人間になる方が先だという、心の声が大きかったから。
考えてみれば、そんなことぐらいという価値観に随分と惑わされてきた。
それが自分の活力を奪っていたことに気付いた。
あるひきこもりの集まりで
初めて参加したひきこもりの集まりでの失敗談。
ひきこもりの集まりは、過去や現在の自分のダメなことも、いいこともお互いに意見交換しあって、腹を割って話す、高めあうものだと勘違いしていた。
確証もなくそのようにしていたら評判がよくなかった。
ある人が、ひとの自慢話なんて聞きたくないと会話の流れで言ったことにピンときた。
そこは、サークルのような気分で集まっており、状況はひきこもりでも普通のひと、普通の会話でいいんだと腑に落ちた。
世話人キャラ
自分は世話人キャラを演じている。
キャラは自分を良くも悪くも規定する。
成り行きに任せるのではなく、最初に形を作っておいた。
この会の趣旨や、自分の特性、いらっしゃる方のお気持ちを交えつつ、どういう考え方や言動をする世話人だと好かれるのか?ふさわしいのか?
――自己肯定感が強い、明るい、軽口をたたく、楽天家、弱音を吐くし能力が低いが一生懸命、同じ立場の親切なひと。
――共感の気持ちをもつ、腰が低く謝ることをいとわない、どうやったら出来るのか粘り強く取り組む、新しいことに積極的に取り組む、成果を分かち合い責任は自分がとるという姿勢でいる、ご参加者が年下でもひとりの大人として見る、自分は裏方で主役はご参加者とみる、事情を汲みつつもルールに厳格でいるなど。
ご参加者の評価は別として、自分にとっては無理がなく、迷いがない。
この枠があるおかげで動きやすく、発言しやすい。